"去るもの追わず"執着しないことでストレス半減♪

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執着しない,ストレス,誹謗中傷,悪口,干渉,アンチエイジング

あー行っちゃった・・・はい、次!

みなさんこんにちは、こんばんは。

さてみなさんは物や人は長く大切に付き合っていく方でしょうか。それともあまり長続きしない方でしょうか。そういう付き合い方に性格があらわれるなんて、雑誌の特集記事で見たりしますよね。そして就職面接の適性検査みたいなので、"あなたは誰とでも仲良くできますか"、”あなたは忍耐力はある方ですか”といった質問項目があったりもします。

つまりこれらをまとめると、長く付き合える人が良い人だ!という世論的な流れがあると個人的に思っています。なんというか、良い人バイアスと言いますか(笑)

私個人的には長く付き合う人も、あまり長続きしない人もどちらも良い面・悪い面があり、それはその人の個性だと思っているので、どちらもアリだと思っています。

ただ長続きすること似た言葉で、粘り強く対応する執着するという言葉があります。これらの言葉は大枠で見れば同じ意味なのかもしれませんが、細かく意味合いを考えていくと、結構意味が違うと思っています。特に粘り強く・執着することによって当事者お互いに発生するストレスという意味合いではかなり違うものがあると思っています。

そこで今回は執着しないことによるストレス軽減の効果とについてお伝えしていきたいと思います。

 

粘り強いことが良い、という効果は薄れてきている?

高度成長期などは粘り強く働き、スローガンに「24時間働けますか?」と言った働き方改革が叫ばれている昨今では考えられないような風潮も当たり前となっていました。そのことが日本経済を大きく成長させてくれたことは称賛されるべき事実で、過去の先人の方々にはしっかり豊かな国を築いてきてくれたことを感謝しなければいけないでしょう。

そして平成の時代が終わり令和になりました。

この数十年間で世間の価値観は大きく転換されてきました。様々な新しい文化が生まれ、平成初期の時代は大きなカバンのような電話を持っていたケータイ電話が今や片手のモバイル端末になり、インターネットの発達などによってその1台で世の中の多くのことが完結してしまうことが可能となってきたような、大きな価値観の変化が起こってきました。

その時代の変化と共に、大きく変化してきたことのひとつとして人々の価値観の変化が挙げられます。特に価値観の多様化が顕著な例になってきます。高度成長期に会社で働く人が当たり前だと思われていた粘り強く、時に執着心を持って働くという価値観。それが令和になった今では、なるべく効率良く・スピード感を持っていくことが良いという感覚が多くなってきたこと、これがこの数十年間の価値観の変化の代表的な例だと思います。

そんな経済社会の中で起こっている変化は、もちろん会社単位ではなく、個人単位でも起こってきています。個人の間でも、執着することにこだわらず、自分の価値観に合ったものに目を向けていくという流れが出来てきているように思います。しかし、そんな時代でも私はモッタイナイなー、と思っていることがあります。

それは粘り強く・執着することを押しつけてくる人や風潮です。

正直私は執着してくる人や過度に干渉してくる人に多くのストレスを感じます。そのストレスが無ければ、もっと良い生活が送れるのになー、と感じる場面が多くありました。自分自身大人になるにつれて適した環境や居場所を見つける方法を考えて今ではストレス少なく暮らすことが出来ています。

しかし世間というのは人と人の繋がりで成り立っています。そして世間の風潮というのはそれぞれの人々の気持ちや考え方の集まりによって出来ています。そんな世間に対して、「あまり過度に執着するのは控えませんか」という提唱をしていきたいと思っています。

 

 

執着は過度になりすぎると憎悪変わることも

そもそも執着とは辞書で引くとこんな意味だそうです。

[名](スル)《「しゅうじゃく」とも》一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと。

【出典-goo辞典-】

ひとつの物や人にこだわりを持って貫いている。そして周りの人に良い影響を与えることが出来ている人は、全く問題だと思っていません。むしろそういう姿をかっこよく感じ、これからも継続していって欲しいと思います。

今回提唱している執着している人というのは、その執着によって関係している周りに不快な印象や悪影響を与えているという行為に対してのものになります。

特にそれが顕著に見えるのがTwitterなどのSNSによる誹謗中傷の意見やリツイートによる拡散が代表されます。辞書の意味に書いてあった一つのことにとらわれて、そこから離れられないというのはまさに当てはまる状況だと思っています。誰かのツイートに対して腹が立つことがあれば匿名で返信を行う。みんなが叩いていると思ったら、自分も加わって大衆で特定の人を袋叩きにする・・・といったような光景を多く見受けられるというのがTwitterのような匿名でのネット空間で起こっている出来事だと思います。

でもそういう行動をしている人に一つだけ質問をしておきたいのです。

「その誹謗中傷して執着することによって良い気持ちをする人がどれだけいますか?」と。

 

そしてそんなに他人に執着する時間があるなら、その時間を自分の楽しいことや勉強する時間に費やしたら、その人自身にもそしてもしかすると周りの人にも良い影響を与えることが出来るかもしれないのに。もったいないなー、と思ったりします。

悪口や誹謗中傷からは自分の快感は得ることが出来るのかもしれません。しかしそこから良い効果が得ることを少ないことを、少しは気づいてもらえれば、世の中も少しずつ変わってくるのになー、なんて願望も込めて言ってみたいと思います。

 

 

あなたは気づかない間にストレスを抱えていた!?

そして執着していることによって、その執着している人自身が悪影響を受けることも理解してほしいと思います。

執着すると一言で言っても、人それぞれに様々な形の執着があります。例えばその執着している対象の人が自分に興味を持ってほしい、であったり、成功している人が嫉妬の対象であって、そのうち大きな失敗をしてほしい、などといった人それぞれに多種多様な執着の形があると思います。

でも一見人それぞれ全く違うような執着といった行動に関しても、ひとつだけ共通していることがあります。それはその執着している人の結末が自分の思い通りになって欲しいという願望を持っていることです。

執着する時には最初にこの人や物にはこうなって欲しい、といった願望を持っています。そしてその願望通りの結末になった時には、その執着した人は満足感や達成感を得ることが出来るのでしょう。世間的に成功している人が、社会的な問題で失敗した時には袋叩きする、といった場面ではそれまで執着していた人などは喜んでいたり満足感を得ているというのは典型的な例であったりします。

その一方、もし執着している人が望んでいなかった結論が出てしまった時には、その人にとって大きなストレスになってしまいます。執着している人というのはその人や物にとらわれて、そこから離れられないといった視野が狭い状態になっています。そのため、何か些細な言葉や行動ですら反応して、それもストレスとなって蓄積してくのです。

これだけ考えても、特定の物や人に執着することのメリットは感じられるでしょうか。その時間、非常にもったいないなと思います。

 

あなたには他にもやるべきことがたくさんあります

他の人を見ること、気をつかうこと。これらは2000年を過ぎたあたりから、インターネットが発達し、どんどん情報化によって社会のスピードが速くなってきたことによって進んできた自分のことばっかり考えるという、個人化に偏ってきたと言われる昨今では称賛されることであると思います。思いやりを持つことの重要性は増してきましたし、自分もそうしなければいけないな、という自戒も含まれています。

しかし、過度に他の人を見過ぎて執着することとは違うのです。そしてこれだけ個人化が進んできた時代です。自分をしっかり磨いておかないと、時代に取り残されてしまう可能性すらある時代にもなってきました。強迫観念としてストレスを抱えながら自分を追い込む必要は無いと思いますが、もしあなたが過度に他人に対して執着していると感じる時間があると感じたならば、その時間を自分の時間に充ててみてはいかがでしょうか。

自分の時間を増やすことができ、そして相手はストレスからも解放される。その相乗効果がより新しい良い効果をもたらしてくれるようになればいいな、という思いを持って文章の終わりとしたいと思います。

 

 

 

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